花と樹木のお墓に眠る 高平寺の樹木葬
樹木葬にしようか迷っている方 高平寺の樹木葬が選ばれる4つの理由
理由1
どんな方でも
お子様のいらっしゃらないご夫婦・墓地継承者のいないご家族・独り暮らしの方、そんな方々の持つ不安も解消できるそれが樹木葬です。家族が眠る場所があること、将来自分が入るお墓があること、そこから生まれる心のやすらぎ。
 
理由2
大好きなお花の下に
高平寺の樹木葬はご家族で一区画。お好きだった樹木を植える。あるいは、ご命日の季節に花を咲かせる樹を植える。お墓参りも少し違ったものになるのではないでしょうか。
理由3
一人一人丁寧にお護りし
みかも山は万葉集にも詠われた、美しく穏やかな気の流れる山です。その山ふところに抱かれる安心感。また、お参りする方がいなくなった墓地も、私どもが年3回のご供養をいたします。
理由4
都心からのアクセスがよい
東北自動車道・佐野インターを下りて5分です。車をお持ちでない方も便利な立地にあります。高速バス・電車でも都心から1時間強の所にある寺院です。
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高平寺通信

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[2010年09月01日]  お経と発声法
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2010年9月 1日  お経と発声法

    【関東の樹木葬・高平寺は佐野インターから5分です】

 

 ひところの『千の風になって』ブームもようやくおさまった感があります。

 あの不思議な熱気はなんだったのでしょうか。

ブーム当時、お墓にご納骨した後、皆さんで『千の風』を合唱したご家族までいました。今さっき故人の遺骨をお墓に納めたばかりなのになんだろなぁ、なんてちょっと思ったものです。

メディアではトンと聞かれなくなった『千の風』ですが、先程もお寺の近所の子供たちが秋川雅史さん風の変な声で歌いながら通り過ぎてゆきました。あの歌い方は、かなり頭に残ります。

 

 

 樹木葬の高平寺は真言宗のお寺です。

真言宗は、宗祖弘法大師様が『聲字実相義』という声や音についての著作を書いておられるように、お経のもつ響きを大切にしてまいりました。

ですから修行の中で、節のついた声明というお経の練習を一所懸命にいたします。そのせいか、わりと皆が歌にうるさい宗派です。

声明のお話はまたいつかさせていただくとして、今日は歌と発声法について。

 

 兼常清佐という音楽学者がいました。

大変に面白い方で、歌唱法についてこのような持論を持っていました

「西洋風の発音法で発音したものは、もはやニッポン語ではない。

私共はニッポン語で単語を言ふにしても、あるひは話をするにしても、あるひは唄をうたふにしても、すべての場合を通じて、西洋風の唱歌のやうな声を出す場合はない。

あのやうな声は、ニッポン語としては変態の声である」(『日本語の研究』より)

「ニッポンの唄は結局ニッポン語の朗読や談話の一種である。普通の声に近い」(『よもやま話』)

 

 日本語と英語を発声法でくらべてみると

「西洋の言語は音が強い。

対して日本語は、音の弱い、特に子音の弱い言語だ。口先だけで音を出す」

 という特徴があります。

 

 日本語の歌を西洋の発声法で唄われた時に感じる違和感は、ここにあったのですね。さすがに変態の声と言う勇気はありませんが。

 たしかに、この人は上手いなあと思う歌手は皆、口先だけで歌っているように聞こえます。もちろん腹も胸も使っているのですが、そう思わせないのが技術です。日本語の歌を最も日本人らしい発声で歌うと必然的に口はあかない。たとえば五木ひろしさんのように。

 声明の発声にも共通するところがあります。

 

 また、昔の歌手は、言葉の響き自体にも神経を使っていました。それが最もよく現れるのが語中と語尾のガギグゲゴです。

 古くからある日本語には、濁音で始まる言葉は少ない。概して和語とはやわらかい響きを持っています。

 呉音と漢音で比べてみれば分かりやすいのですが、「老若男女」を呉音で発声すればロウニャクナンニョとやわらかく、漢音ではロウジャクダンジョと強くなる。濁音の多い漢音は強く聞こえます。

 このように弱くやわらかいという特徴を持つ日本語で使われるのが、鼻濁音です。特に語中語尾のガギグゲゴは鼻濁音で歌ってもらいたい。石川さゆりさんの「津ガる海峡冬ゲ色」は、鼻濁音だから日本の雪景色になるのです。

 それから美空ひばりさんは、『東京キッド』の中でちゃんと歌い分けをしているのがすごい。「右のポッケにゃ夢ガある」は鼻濁音だけれども、「左のポッケにゃチュウインガム」のガムは外来語だから普通のガで歌っている。

 

 

 何気なく読誦しているように聞こえるかもしれませんが、私たちの声明やお経もおなじくらい神経を使って習います。

発声法はもとより、漢音で読むお経か(例.『理趣経』)呉音で読むお経か(例.『観音経』)のちがいや、ことばの組成や由来を吟味して、千年以上かけて磨かれ伝えられてきた結晶が真言声明です。

真言宗のお寺でおこなわれる法要ではかならず声明が唱えられますから、一度お近くのお寺のイベントにお出かけになってみてはいかがでしょうか。